おはようございます。
昨日のツイートに反響がありました。
子どもの仲がググッと深まってきている。だからこそ起こる対立、先生は把握するもののそっとほっておこう。
子どもたちが解決するためには時間が必要。何でも介入していかないで時には待つことも大事。
ガンガン介入していくのは、高学年の先生にとってNG!
それが3年目のボクだ。絶対やめとけ!
— 青ちゃん@先生✕Design (@aosenn) 2018年9月20日
ボクの苦い経験から言えることです。振り返りを重ねて、考え学んできました。
対立を力に変えていくには、先生であるボクらの出方なんだろうなぁと思うんです。
反応と行動の間に一呼吸

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これが一番の肝だと思っています。
若い頃は、とにかく反応が早かった。子どもの反応を見つけては、潰す。見つけては、潰す。そんな毎日を送っていた年もありました。
よくない行動を見つけると、すぐに正そうとする。素早い反応こそ良いことだ!という思いこみ。当然、子どもたちの顔は元気が無くなっていくんです。窮屈な教室でした。
反応することと行動することの間に、しっかりとした間をもつことが大事になります。そしてそのあと、想像力を働かせます。

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「どうしてこういう行動したんだろう?」
「原因は些細なことじゃないかな。」
「もしかしたら、体調が悪いだけじゃ…」
そんな風に想像力を発揮していくのです。これができなかった。
でも振り返りを少しずつ重ねながら、自分がどう思考したら良いか考えられるようになってきました。
介入するのではなく、子どもたちを育てる

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最初が4年生の担任ということもあって、介入することが多くありました。それでいていろいろな問題を解決していき、「先生最強」状態だったんですね。
でも今思えば、それでは子どもたちに問題を解決する力は全くつきません。近くに解決してくれる強い味方がいるだけです。
学年が変わり、その強い味方がいなくなった時、子どもたちは何を支えにするのでしょうか。
ボクら先生がやれることは、「子どもたちが、自分たちの目の前に起こる問題を、自分や仲間と解決できる力をつけること」です。そのためには、うまくいかない事も、対立することも貴重な体験なんですね。
ボクらはその機会を取り除いてはいけないと思うんです。
だからこそ、対立の状況を見極める必要があります。
まずは観察する。

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それから、想像力を働かせていきましょう。
昨日はある子が涙で目をはらして、教室に戻ってきました。
「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と答えました。
「話聞く?」と聞くと「いい。」と一言。
「じゃ、落ち着いたら、何があったかだけは教えてね。深く言わないでいいから。ジャーナルでもいいよ。」
と伝えました。
ジャーナルにどんなことが起こったかは書いてくれてましたし、「解決しようと思います!」と前を向いていました。
深くこれ以上は介入しません。それで十分だと思います。聞かれたくない時だってあるんです。そうやっって学んでいくし、いざって時に話せる相手でいることで十分な気がします。
対立を超えていく力をどうつける?

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これはボクがずっと自分に問い続けている問いです。
いくつかその答えにあたるものをあげてみます。
- 対立とは何かを知ること
- 対立に立ち向かう手段の選択肢があること
- 対立を解決した経験が共有されていること
- 対立を解消する場があること
- 対立について考える機会があること
今の学校は忙しく、なかなかこういうことに時間は裂けませんが、通り一遍のテキストの道徳ではなく、こういったことを学ぶ機会をもっと増やしていかなくてはいけませんね。
ちなみにPAを使ってこんな事もしています。
おすすめの書籍はこちら。
Kindleだとかなり安いですね!
こちらは廃盤か。超良書なのに。中古での出品、お得な価格です。
どちらともかなり読み応えがある本ですが、間違いなくボクの学級経営を支えている2冊です。
ぜひぜひ、対立について一緒に考えていければと思います。
あお先生
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