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もめごとを解決するのは誰?「揺らぎ」という成長の種について

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あお

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あお先生です。よろしくお願いします!

「まーくん」です。3年目に担任した女の子がキャラクターとして作ってくれました!

まーくん

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ヒミツキチ森学園の運動会演技について

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あお先生

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ヒミツキチ森学園の先生

プロフィールにもあるように新しい働き方、在り方を提案する先生|一般社団法人PLAYFUL|ヒミツキチ森学園グループリーダー|元公立小学校教諭、15年勤務全学年経験|振り返り・ライティングスキルなど1on1 の実績多数|「先生が知っておきたい仕事のデザイン」出版。雑誌・書籍への寄稿等執筆多数

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ヒミツキチ森学園スクールリーダーのあおです。

今日は「解決するのは一体誰?」について。

解決に向かう主体は誰?

公立小学校の教員として15年、オルタナティブスクールでも先生を続け、20年以上現場に立っています。
そうした場面、そして現役の先生方からの相談で最近とても多いのが
子どもが『先生、解決して』と来ることが多くなった
というものです。

「先生、解決して」には、
「私たちだけじゃどうにもならないから、助けて」
もあれば
「頑張ってみたんだけど、どうにもならない。。。」
もあるので、一概には言えないと思うのですが、
「先生、私じゃ上手くできないし、先生に言えばあとは任せられるから、解決お願いね!」
のニュアンスが強いのだとか。

さらには、
「親に言って、親が解決を頼んでくるケースも増えた」
と何人かの先生から聞いています。
要するに、子どもは全くそこに出てこないまま、物事が進んでいくそうです。

ここで思い出すのが、一つの出来事です。
10年以上前、高学年を担任していた時のこと。
ある子が、友達との関係ですごく悩み、学校を休みがちになりました。
あるグループから外されていたんですね。
その子の悩みをたっぷり聞いたあと、「相手にその気持ちや想いを伝えるか、伝えないか」の話になった時、

先生、伝えておいてください。

と言ったんです。

その時は、二人の先生で対応していたのですが、二人とも、
「それはできないよ」
と話をしました。

「相手に気持ちを伝える時には、上手くいくかどうか、悩むよね。さらに悪化しちゃったらどうしようかと思うはず。この揺らぎは悪いことで居心地が良くないもののように感じるんだけど、自分が一番大切にしたいものと繋がっているから、その揺らぎが生まれるのかもしれないなぁと思っていて。〇〇さんが揺らぎを持ちながら伝えることが、きっとすぐにはわからないけど、相手の気持ちには届くと思う。そして〇〇さん自身にとってすごく大事なことなんじゃないかな。」
とボク。

「何かを変えようとする時には、やっぱりノーリスクではできない。自分にとっても何かしらの想いや怖さがある。でもそのリスクを引き受けてでも大切にしたい友達なのであれば、〇〇さんが僕らと一緒に伝えてみるのがいいんじゃないかな?」
ともう一人の先生。

悩んだ末に、一緒に伝えるを、その子は選びました。

思い切って一緒に伝えた結果、どうなったか。
一時的には気まずい状態が続きました。
でも、彼女自身がモヤモヤを抱えながらも、どこかすっきりした表情をしていました。

数年後、彼女がくれた手紙に
「青山先生、あの時はどうもありがとうございました。ほんと最近なんだけど、◻︎◻︎(相手の子)とすごく仲良くなって、中学ではなんでも話せる大親友になりました。」
と書いてあったとき、ほっと胸を撫で下ろしたのを覚えています。

もしあの時、ボクらが代弁してしまったら、このような深い関係には結びつかなかった可能性があります。こうしたケースは1回だけではなく、これまで数え切れないほどありました。

ボクを介して伝えてしまったもので、このような良好な関係になったということは、残念ながらほとんどありませんでした。

ここからわかることは、
解決を図る主体は、子ども自身である
ということです。

親が親だけで解決に走れば、子どもは「厄介なことは親に任せておけばいい」となります。
そうなると、家で厄介ごとを話し自分はリスクを負わない状態と、自分自身で主体的に動く学校での状態とを比べたら、どちらを選ぶかは一目瞭然です。

先生だけが解決に走れば、子どもは「とにかく先生に言いつける」になります。「何かあれば先生を頼ればいい」は、いつの間にか「先生に任せればいい」となり、主体がちょっとずつ「他責」へと変化していきます。

そして誰かに任せた場合、上手くいかなくても、その誰かのせいにすれば済んでしまいます。
これは、「子どもを守る」とは、程遠いのではないでしょうか。

あくまで主体が子どもにあり、解決しようとする場合にも、子どもと一緒にどれだけできるかを考え、関わり、伴走していくこと。

これは、「解決は子ども同士に任せる」のではありません。
主体である子どもをサポートする形で、大人が関わるということです。

揺らぎに耐えられなくなる子ども・大人

以前なら、この「揺らぎ」に子どもも大人も「そういうもんだよな」と耐えることができました。

でも今は、「揺らぎ」があることに対する心配や恐怖が勝るのか、解決へのスピードの速さを求める大人が増えている気がしています。

「揺らぎ」とはモヤモヤや葛藤の手前にある、少し居心地が悪いけど、自分の何か大切なこととぶつかっている状態のこと。

この「揺らぎ」こそ、人の成長の種だったりするんです、本当は。

揺らぎを抱えて歩くこと、つまり長い時間「揺らぎ」を保つことだって、本当はもっと大きな意味があります。

でも、それに耐えられない。

親として心配になるのは、当然だよなぁと思います。
子どもが揺らいでいれば、大人も一緒に揺らぎたくなります。
ただ、同じように揺らいでいるだけでは、仲の良い友達と一緒です

子どもの想いに共感しつつ、親も揺らぐ中で、何ができるかを考えていかなくてはいけません。

先日、ヒミツキチでも、この揺らぎを親子で共有しながら、一緒に相談に来てくれた子がいました。その子主体で、先生と一緒になり、伝えることができました。
揺らぎを抱えながら伝えている姿が、その表情が、言葉だけじゃなくいろんなものを伝えるんだよなぁと。

解決の主体が子どもであること。
揺らぎを抱える保つことが悪いことではないこと

当たり前のように感じながらも、いろんな場面でできない子ども・大人が増えている今だからこそ、言葉にして置いておきたいと思います。

今日もお読みいただきありがとうございました。

「解決するのは誰?」のような問いが載っているヒミツキチ森学園の本ができました。

ぜひ手に取ってみてくださいね。

あお

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それでは今日も良い1日を。

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