おはようございます。
学園の子に鬼滅の刃の映画のネタバラシをされ続けるヒミツキチ森学園のあおです。早く映画にいきたい(笑)
さて、今日は不登校のお話についてです。
近年、不登校は増え続けており、日本でも5万人の児童が学校に通っていません。小学校ではおよそ1%の児童が、不登校というデータもあります。
100人に一人という割合ですが、それが我が子だった場合、親としては突然のことに戸惑うこともあるでしょう。
「なぜうちの子が??」
そう思う親も多いのではないでしょうか。
また不登校になっていなくても、子どもが学校に行きたくないと感じていることに気づく親はきっと多いのではないでしょうか。
あお
子どものことに気づけるだけでも、それってすごいことだなぁとボクは思います。
「我が子はこの先、どうなるんだろう?」
ボクも2児の父として子育てをしていますが、不安になるときはあります。きっと誰にでもありますよね。
不登校になった児童は、その後どんな人生を送ると思いますか?
- 小学校が不登校だった人のその後がどうなったのか知りたい
- 不登校の後に影響が出てしまう関わり方とは一体何?
- 不登校の子が、その後幸せになった例はあるのか?
今日はボク自身の不登校の経験に、15年の小学校教員での経験を交えてお話しできたらと思います。
あお先生一人の体験談だと、物足りないからね!
まーくん
あお
はい、そう思われると思って…でも、ボクが経験した話を出すことで、こんな人もいるんだ!と勇気を持ってもらえたら嬉しいです。
それではどうぞ!
目次
ボク自身が小学校で不登校になった話
ボクは小学校4年生の時に不登校になりました。
どんなことが原因だったのー?
まーくん
あお
まずはボク自身の経験から、ゆっくりと話していきますね。
小学校4年生で不登校になった理由
4年生の3学期でした。急に学校に行きたくなくなりました。
我慢の限界に達していたんでしょう。
ボクの場合のきっかけは、担任の先生でした。
担任の先生が、毎日怒鳴る先生でした。誰かれ構わず叱る。
小さい頃から泣き虫だったボクは、人一倍感受性が強く、友達が叱られているのにも敏感に反応してしまっていたのです。
もちろんボク自身が怒られることも。図工が苦手でなかなか作品が進まなくてよく叱られました。
あお
でも、担任の先生はあくまできっかけで、少し生きづらさみたいなものも感じていました。
周りの人が考える「普通」についていけなくなったのもこの頃。
周囲に馴染むタイプでもなかったので、自分を受け入れてくれる特定の子とよく遊ぶ毎日だったのを覚えています。
ソフトボールが盛んな地域で、チームにも入っていましたが、プレイに対する怖さ、コーチに対する怖さがあり、いろんなことに萎縮していた時期でした。
伸び伸び自分を表現できる周りの子との違いを感じ始めていました。
そんな中で、自分も叱られる日々が続き、学校に行けなくなってしまったのです。
不登校から立ち直るきっかけ
4年生の3学期はほとんど学校に行っていませんでした。
どうやって立ち直ったの?
まーくん
あお
周りの人が、ボク自身に考える時間をくれたからだと思う。
自分自身が、その時期に考える時間をもらいました。ぼーっとテレビを見たり、ゲームをしたりする時間もありましたが、それでも余る1日の多くの時間。
自然と考えます。
「どうして生まれてきたんだろう」
「どうして自分の体は自分でコントロールできるんだろう」
そんなことを考えたのを覚えています。
たくさんの考える時間の中で、「また行ってみようかな。」が生まれたのと、友達が誘ってくれたお楽しみ会のタイミングが重なり、久しぶりの学校を楽しむことができました。
5年生に進級し、担任の先生も変わりました。
おじいちゃんの先生。怒る時もあるけど、それ以上に自分のことを認めてくれました。
あお
そのおじいちゃんの先生のおかげで、ボクは勉強もスポーツもやる気を取り戻したのです。
不登校を解決するための親の働きかけ
当時は登校拒否と呼ばれていました。1%よりも不登校が少なかった時代…ボクの親は大変だったと思います。
でも、基本的には待ってくれました。自分から行きたいって言い出すのを。
実は担任の先生も、何度もうちに足を運んでくれて、親と話し合っている姿がありました。
母も悩んでいたのだと思います。
あお
最近、この話題を出したら「そんなことあったっけ?妹の方がひどくて覚えてないわ!」と言われましたが。。。
厳しかった父親も、この件については待ってくれたのを覚えています。不登校だったことに怒られたことはほとんどありませんでした。
ボクは不登校になってしまうことはあったとしても、その後の人生にどう影響が出るかは、周囲の環境の作り方にあると思っています。周りに理解があれば、大きな影響は出ないと思うんです。
不登校児だった自分は、就職してどうなった?
不登校児だった自分は、その後どうなったと思います??
より良い教育のために、小学校教員の道へ進む
不登校だったから、フリースクールの先生になったという人は何人も知っていますが、苦手だった小学校の先生になった人ってなかなかいないのではないでしょうか。
でも、ボクは小学校教員の道を選びました。
ボクのような児童を生まないためにも、
そしておじいちゃん先生のような人の心がわかる先生に憧れて。。。
教員の日々は豊かで楽しいものでした。選んだ道に後悔はありませんでした。
ただ、ボクのクラスでも不登校の児童が出てしまったのです。
その時に考えました。
ボク自身が生んでしまった事実には間違いない。教員になってからも増え続けている不登校という存在。
責任はボクにある。
でもその一端は、もしかしたら学校のシステムにあるんじゃないかと思い始めたのもこの時期です。
システムが変わるのを眺めているだけじゃなくて、いったん外に出て、学校というものを見つける時期に来ていたのかもしれません。
15年勤めた教員を退職し、仲間とともに学校を立ち上げたのです。
オルタナティブスクール「ヒミツキチ森学園」の先生に
そして今年の4月、神奈川県葉山にオルタナティブスクール「ヒミツキチ森学園」を立ち上げ、そこで先生をしています。
この学校は不登校児が通う学校ではありません。
でも、公立校に通わないという選択をした子も通っているのも事実です。
先週、ボクの同僚が来てくれて話した言葉。
「どの子も表情が生き生きしている」
それが印象的だったと。
この学園に携わるたくさんの人のおかげで、いい時間が創れているのは確か。そしてこの子たちの表情の豊かさが何から来るのか、ボクも過ごしながら考えているところです。
不登校児は将来勉強しない?学ぶことが楽しい毎日
不登校児は、勉強が苦手だという話も聞いたことはありますが、ボクは今、学ぶのが楽しい日々を送っています。
本で学ぶことも、人から学ぶことも、どちらも好きで、学び続けている毎日です。
比較的早い段階での不登校だったからだと思いますが、小学校の時の不登校の勉強はすぐに取り戻すことができました。高校時代は勉強をさぼっていましたが、その後浪人時代に猛勉強して、学ぶこと自体の楽しさを感じることができました。
ボクの友人には、高校時代不登校であっても、大卒の資格を取り、検定を受け、大学に入学し、今でも学び続けている人もいます。
一概には、不登校児だから将来勉強しないとは言えないのではないでしょうか。
不登校の原因が学業がきっかけという場合も少なくはないので、そう感じる部分が多いのかもしれませんね。
あお
ここまでは、ボクの話を中心にしてきました、ここからはもう少し広げてお話しします!
不登校、その後の人生への影響は?
さて、次はボク以外の例で、不登校だったことが、その後の人生にどう影響を与えたのかを考えていきたいと思います。
不登校だった有名人
不登校だった人の中には、その後自分のキャリアを築き上げていった人も少なくはありません。
例
家入一真 さん
現campfire CEO
多彩なコミュニティやサービスの運営をしているこの方も、中学校の時に不登校だったようです。高校でも不登校だったのですが、プログラミングを学び、自分は弱い人間だと早いタイミングで認められたことが、その後の人生につながっていると語っていました。
例
指原莉乃 さん
現トップアイドル
テレビで見ない日がないっていうくらいの引く手数多の彼女も、中学校の時に不登校だったことがあったそうです。原因はいじめ、中学時代の陰湿ないじめは女子特有のものなのでしょう。
不登校のことについて、詳しく書かれている本は?
実は例で語った人々については、この本にも詳しく載っていたことです。
こちらについては記事も書いたので、ぜひぜひお読みください!
さらに、ボクが読んでみた本の中で勇気づけられたのはこちら!
親子で歩んだその後の人生が描かれています。
問題は、不登校時に受ける周りの環境からの圧力
これらの本を読み、自分の体験、教員の体験から考えることがあります。
それは、不登校になってしまった事実というのは、大きな影響を及ぼすわけではなく、不登校時に生まれる周囲の環境の方が大事だということです。
- 父親からの冷たい一言
- 家族との仲違い
- クラスメイトの何気ない傷つける一言
- 担任の先生の対応
これらが、トラウマとなり、なかなか復帰できないケースは実際にあります。
子どもの声を無視した親による転校や、過剰な反応があまりプラスに向かわないケースも教員としてもみてきました。
まずは、家族をはじめとした、子どもを取り巻く周囲の人の理解が必要です。
「学校は行かなくてもいい」
あお
ボクは教員時代も、現場にいながら、常にそう思っていました。
1つの選択肢なだけ、そう言い切ることで、きっと救われる子が多いと思うのです。
もし、我が子のことであなたが悩んでいるなら、まずは本人にそう伝えるとともに、周囲の環境にアプローチすることの方が大事かもしれませんね。
不登校はわがままなのか?怖い同調圧力
「不登校する子どもはわがままだ!」
と世間的な風潮があるかもしれません。実際に、学校現場でもそう唱える教員はいました。ボクが子どもの頃にはそんな風にうちの母も言われていたはずです。
あお
でも、そう簡単なことじゃないですよね。
わがままだから不登校になるのであれば、もっともっと日本中に不登校が溢れているのだと思います。
日本人は自分の感情を出すのを我慢してしまう傾向にあります。もしかしたら、不登校をする人は、それを直接出せる人なのかもしれません。
学校という場所に行きたくないのに、それは言わない人ってもっともっと多い。
きっとそれ自体が悪いことだと思っている。
だけど、これからの日本に必要なのは、
- 自分の想いをしっかりと出せる人
- 溢れるばかりの情熱を、他を巻き込んで進んでいける人
- 他者に合わせるのではなくて、自分のやりたいことを表現しながら、他者に影響を与えちゃう人
そういう人なんじゃないかなぁって思います。
これらの項目は、もしかしたら不登校の人の方が、当てはまることの方が多いとは思いませんか?
自分どまんなかで生きる…
ボクらの学園のコンセプトはそういう生き方を応援することです。
また、同じ年齢で横並びに過ごし、飛び級などがない今の日本の教育では、どうしても同調圧力というものに潰されがちになってしまいます。
少しでも違う人を見つけて、みんなで攻撃することを生みやすい環境…それが現状かなぁとも思います。
これを打破するには、今までの前提を疑っていくことです。
3学年が1クラスになっているオランダのイエナプランを取り入れているボクらの学校では、違う学年の子たちが、同じ単元を学習していることがあります。同じ学年でも違うところを学習していることも多いので、
「あぁ、こっちから進んでいるんだね、どんな学習なの?」
なんていう交流も。
横並びにそもそもならない環境っていうのは、学び方次第で可能なのです。
みんなと一緒じゃなくて、みんなと違っていい。。。
そんな学園、一度に見にきませんか??
不登校という事実は、その後の人生に影響はない!
ボクは不登校でしたが、今、確実に幸せな人生を送っています。
チャレンジが多い人生ですが、自分のやることにワクワクしながら生きています。
不登校だったということも、自分の中の大事な種になっていて、大切に育み不登校をプラスにとらえる人生を過ごすことができています。
きっとそういう人、少なくないと思うよね。
まーくん
あお
それがこの記事で伝わっているといいな。
以前、先生の飲み会で同じ席に座った4人の先生、話しているうちに全員不登校の経験があることがわかりました。
ボクのようなケースもきっと例外ではないのかもしれませんね。
学校が合わない、行けなくて困っているという子は、ボクが小学生だった当時より確実に増えています。
「学校に行ける」ことが普通ではないのです。
ボクはいろんな子の居場所になる場所を仲間と一緒に丁寧に作っていけたらと思っています!
あお
少しでもこの記事が、悩む方々の役に立っていたら嬉しいです。
あお
それでは今日も良い一日を!