おはようございます。熱海まで嫁のお母さんの還暦祝いに行ってきたあお先生です。
さて、今日はすごく共感した一冊の本があったのでご紹介します。
「学校は行かなくてもいい」
著者は、小幡和輝さん、高校生社長でも有名だった彼です。
この本、家入一真さんのインタビューもあるなど、不登校だった人がその後の人生をどういきているかの事例がたくさんあります。それだけでも読む価値があり!
しっかりと社会で活躍されている、それも復帰しました!ってレベルじゃなく、大活躍されている方の事例ばかり。
まーくん
あお先生
怖かった小4の担任の先生

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ボクは小学校4年生の3学期、学校に行っていませんでした。
今から25年前、まだ「登校拒否」という言葉が使われていました。
きっかけは、担任の先生が怖かったことです。
まぁ、むちゃくちゃ怖かったです。毎日のように泣いていました。
でもその先生、多くの子に慕われている先生だったんです。親からの信頼も厚い。学級通信も毎日出てくる。世界を渡り歩いていて、漢字テストでいい点数をとると、星の砂がもらえたっけ。
今、児童に物を配るなんてことやったら、管理職にしかられますよ(笑)
だから、言い出しにくかったんだと思います。「あの先生やだ!」は胸にしまったままでした。
それが辛かった。しまったままが苦しかったんでしょう。
2学期からなんとなく学校に行きたくなくなってしまって…
ついに3学期、マイコプラズマ肺炎になったのがきっかけで、学校に行けなくなってしまいました。
みんなが学校に行っている間、すごーーーく暇なボク。なので、おばあちゃんの目を盗んで、ゲームをたくさんやる日々でした。
当時やっていたのは、くにおくんシリーズ。あぁ、懐かしい!時代劇と大運動会が好きでした。
やってもやっても…楽しい!!
罪悪感に苛まれるということも一切なかったです。一度、友達が連絡帳を持ってきてくれた時に、ゲームしていたのがバレて、さらに行きづらくなる…という悪循環を招いたことがあります。
でもどうしても学校に足が向かない。。。
そんな日々が続きました。
担任の先生は1週間に1度ぐらい、家に来て話をしてくれました。
でも、「お前が嫌いなんじゃーーーい!」とツッこんでいたボクにとって、そんな時もさっと布団に隠れていたのでした。
親は辛かったでしょう。
まず周りにそういう子が全くいなかった時代。登校していない子の親というレッテルは、ボクの父母をだいぶ苦しめたんだと思います。
お楽しみ会で復帰という情けない自分

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その後、なんとか登校できる形になったのが、お楽しみ会の時だったと思います。
招待状をいただいて、子どもながらに嬉しかったボク。そして久しぶりに登校したボクに対して、周りの子や先生たちも1日優しくしてくれました。
ボクは根っからの野球少年だったのですが、この時期は野球の練習にも参加することができませんでした。おかげで大きな市の大会にも出場することができなかったのです。
そういうことが悔しくて、「絶対に学校に行ってやる!」と心に決めたことも大きかった。
そして5年生になります。担任の先生や、ベテランのおじいちゃんに代わり、ボクも受け入れてくれます。そして、今でも一緒にいる親友ができたのです。
親友ができてからは学校が楽しくなり、自分に自信がつき、成績もぐーんと急上昇。野球の腕前も、ぐんぐん伸びていきます。
学校に行ってなかったその時期は、ボクにとっての充電期間だったように、色々なことが飛躍的にできるようになりました。
この経験は、少なからず、先生を目指すことに関わっているのだと思っています。
この本が伝えたいこと
この本が伝えたいことは、受け取る側に寄るんだと思います。
夏の読書七冊目。
☑ボクも不登校の経験あり
☑人とコミュニティ、そして夢中になること
☑学校は個人の才能…『学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「…』小幡和輝 ☆4 https://t.co/Tn7GYVByBY #booklog— 青ちゃん@教育✕Design✕デジタル✕心と身体 (@aosenn) 2018年8月10日
学校に行かなくてもいい、でも大切なのは…
- 人
- コミュニティ
- 夢中になれること
ボクもここには完全同意です。
ボクが不登校だったのは短かったので、この3つがなくてもなんとか乗り切れた。
ただ6年生になって、ボクは親の都合で隣町へ転校するんですね。今でも実家があるこの街に住むことで、生きやすさをすごく感じるようになります。
優秀な子から、ヤンキーまで、社会の縮図のような新しい街は、非常にボクにとって面白かった。人とのつながりが活性化されたわけです。
また、前の学校と今の学校という2つのコミュニティができたことが大きかった。片方が上手くいかなくても、もう片方のコミュニティが自分の居場所になるんです。
学校以外のコミュニティがあることを著者も、繰り返し述べています。
そしてボクには夢中になれるスポーツ、読書があった。
こうやって不登校から完全に脱出できたわけです。
この辺りのことは今読んでいる本でも落合陽一さんが、しっかりと述べてくれています。
必ず行く場所からの「学校」の変化も必要

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「学校は必ず行くもの」、ボクが子どもの頃はそうでした。でも今、自分が先生をやっていても思うのは、「必ずしも行かなくてもいい」のではないかということです。
実はうちの市町村は、そういう考えもうち出し始めています。
年々、不登校の子が増え、1年生で学校を渋る子が増えている気がします。
それって、誰かのせいではなくて、学校という構造の問題なんじゃないかって思っているんです。
みんな同じことをやること、ずっと座っている授業のあり方、ボクら先生だって努力している部分ですが、根本が変わらない限り、この現状って100年先も続いてしまうんじゃないか…そんな風に思うんです。
ボクの家族でもこんなやりとりが将来あるのかもしれません。
長女
あお先生
理由を聞いて、きっと無理はさせないでしょう。
学校という場所をもっと行きたくなるような魅力的な場所に変えること、それが残された時間でのボクのやりたいことなのかもしれません。
でもそれは個人でできることなのでしょうか。学校単位でなら可能なのでしょうか。簡単にできる!とは言えないのだと思います。
これからも考えていきたいことです。
あお先生
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