おはようございます。
朝っぱらからコーヒーの粉を豪快にぶちまけた「あお@aosenn」です。葉書や掃除機を使っての眠い朝の掃除、泣けてくる。。。

あお
さて、今日はすごく共感した一冊の本があったのでご紹介します。
目次
小幡和輝さん著「学校は行かなくてもいい」
著者は、小幡和輝さん、高校生社長でも有名だった彼です。

この本、家入一真さんのインタビューもあるなど、不登校だった人がその後の人生をどういきているかの事例がたくさんあります。それだけでも読む価値があり!
しっかりと社会で活躍されている、それも復帰しました!ってレベルじゃなく、大活躍されている方の事例ばかり。
活躍している人と肩は並べられないけど、あなたも不登校だったでしょ?

まーくん

あお
そうなんです、実はボクも不登校でした。
怖かった小4の担任の先生

ボクは小学校4年生の3学期、学校に行っていませんでした。
今から25年前、不登校はそのころは「登校拒否」と呼ばれていました。
いろんなことが複合されて、ボクの足は学校に向かなくなりました。
きっかけは、担任の先生が怖かったことです。
まぁ、むちゃくちゃ怖かったです。毎日のように泣いていました。ボク以外の誰かが怒られるのも怖かったです。
そんな怖かったら問題にならなかったの?

まーくん

あお
でもその先生、多くの子に慕われている先生だったんだよ!
親からの信頼も厚い。学級通信も毎日出てくる。文字通り世界を渡り歩いていて、漢字テストでいい点数をとると、砂漠の砂がもらえたっけ。
今、児童に物を配るなんてことやったら、管理職にしかられますからね!
だから、言い出しにくかったんだと思います。「あの先生やだ!」は胸にしまったままでした。
それが辛かった。しまったままが苦しかったんでしょう。
2学期からなんとなく学校に行きたくなくなってしまって…
ついに3学期、マイコプラズマ肺炎になったのがきっかけで、学校に行けなくなってしまいました。
みんなが学校に行っている間、すごーーーく暇なボク。なので、おばあちゃんの目を盗んで、ゲームをたくさんやる日々でした。
当時やっていたのは、くにおくんシリーズ。あぁ、懐かしい!時代劇と大運動会が好きでした。
やってもやっても…楽しい!!
罪悪感に苛まれるということも一切なかったです。一度、友達が連絡帳を持ってきてくれた時に、ゲームしていたのがバレて、さらに行きづらくなる…という悪循環を招いたことがあります(笑)
でもどうしても学校に足が向かない。。。
そんな日々が続きました。
担任の先生は1週間に1度ぐらい、家に来て話をしてくれました。
でも、「お前が嫌いなんじゃーーーい!」とツッこんでいたボクにとって、そんな時もさっと布団に隠れていたのでした。
親は辛かったでしょう。
まず周りにそういう子が全くいなかった時代。登校していない子の親というレッテルは、ボクの父母をだいぶ苦しめたんだと思います。
本当の心の中は、本人にしかわからない

ただ、本当の心の中は本人にしかわからないものです。長い年月が経つと、記憶も薄れるので本人さえも怪しいです。
ボクもこの記事をリライトしながら、記憶がふっと蘇ってきました。
3年生から4年生にかけて、授業中ぼうっとすることが多かったんです。完全に違う世界にいっていました。
完全に怪しいやつじゃん!

まーくん

あお
はい、すみません。
当時考えていたこと。
「どうして学校っていかなくちゃいかないんだろう?」
「なぜ友達は多くなくちゃいけないんだろう?」
「どうして毎日、毎日、ここに集まっているんだろう?」
そして
「どうしてボクの意思で、この手は動くんだろう。」
「どうして命って生まれるんだろう。」
「どうしてボクは我が家に生まれてきたんだろう。」
そんなことでした。
担任の先生はきっかけにすぎず、ボクは身の回りのこと、学校のことにたくさんの疑問を抱えていました。
「なぜ学校に行かないのか」って聞かれたら、「なんとなく行きたくないから」。それぐらいの理由でしかないんですよね。。。
大人や周りは理由をはっきり持ちたがる…でも子どもの頃のボクはそれぐらいしか考えていませんでした。
お楽しみ会で復帰という情けない自分

その後、なんとか登校できる形になったのが、お楽しみ会の時だったと思います。
招待状をいただいて、子どもながらに嬉しかったボク。そして久しぶりに登校したボクに対して、周りの子や先生たちも1日優しくしてくれました。
ボクは根っからの野球少年だったのですが、この時期は野球の練習にも参加することができませんでした。おかげで大きな市の大会にも出場することができなかったのです。
そういうことが悔しくて、「絶対に学校に行ってやる!」と心に決めたことも大きかった。
そして5年生になります。担任の先生や、ベテランのおじいちゃんに代わり、ボクも受け入れてくれます。そして、今でも一緒にいる親友ができたのです。
親友ができてからは学校が楽しくなり、自分に自信がつき、成績もぐーんと急上昇。野球の腕前も、ぐんぐん伸びていきます。
この経験から、ボクはつながりこそが最も大事なものだと気がつきます。
学校に行ってなかったその時期は、ボクにとっての充電期間だったように、色々なことが飛躍的にできるようになりました。
自分を表現することもできるようになり、学校の成績も急上昇しました。
自分に自信が持てるようになったのです。
この経験は、少なからず、先生を目指すことに関わっているのだと思っています。
「学校は行かなくてもいい」この本が伝えたいこと
この本が伝えたいことは、受け取る側に寄るんだと思います。
夏の読書七冊目。
☑ボクも不登校の経験あり
☑人とコミュニティ、そして夢中になること
☑学校は個人の才能…『学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「…』小幡和輝 ☆4 https://t.co/Tn7GYVByBY #booklog— 青ちゃん@教育✕Design✕デジタル✕心と身体 (@aosenn) 2018年8月10日
学校に行かなくてもいい、でも大切なのは…
- 人
- コミュニティ
- 夢中になれること
ボクもここには完全同意です。
ボクが不登校だったのは短かったので、この3つがなくてもなんとか乗り切れた。
ただ6年生になって、ボクは親の都合で隣町へ転校するんですね。今でも実家があるこの街に住むことで、生きやすさをすごく感じるようになります。
優秀な子から、ヤンキーまで、社会の縮図のような新しい街は、非常にボクにとって面白かった。人とのつながりが活性化されたわけです。
また、前の学校と今の学校という2つのコミュニティができたことが大きかった。片方が上手くいかなくても、もう片方のコミュニティが自分の居場所になるんです。
学校以外のコミュニティがあることの大切さを著者も、繰り返し述べています。
そしてボクには夢中になれるスポーツ、読書があった。
こうやって不登校から完全に脱出できたわけです。
この辺りのことは今読んでいる本でも落合陽一さんが、しっかりと述べてくれています。
でも、脱出する必要なんてなかったのかもしれません。
心の声に従えたから、ボクは行かなかっただけです。ボクが悪いのではなく学校が悪いのでもなく、当時のボクがいくことを拒んだだけ。
そういう時期があってもいいし、なんならずっと復帰しなくてもいい。

あお
今ではそう思っています。
必ず行く場所からの「学校」の変化も必要

「学校は必ず行くもの」、ボクが子どもの頃はそうでした。
でも教員を経験した自分が思うのは、「必ずしも行かなくてもいい」のではないかということです。
実はボクの市町村は、そういう考えもうち出し始めています。
年々、不登校の子が増え、1年生で学校を渋る子が増えている気がします。
それって、誰かのせいではなくて、学校という構造の問題なんじゃないかって思っているんです。
みんな同じことをやること、ずっと座っている授業のあり方、先生だって努力している部分ですが、根本が変わらない限り、この現状って100年先も続いてしまうんじゃないか…そんな風に思うんです。
学校という場所をもっと行きたくなるような魅力的な場所に変えること、それが残された時間でのボクのやりたいことなのかもしれません。
ボクはヒミツキチ森学園の先生をすることで、学校以外の場所をつくることからスタートしています。
この学園の先生を勤めることに決めたのも、この時の経験が大きな理由の1つです。
ボクのビジョンである
「未来を担う子どもたちが生き生きとする社会を創る」
ことを目指して、今日も進んでいきます!

あお
それでは今日も良い一日を!
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