おはようございます。
チーズ祭り×Tシャツという好きなものの組み合わせで40歳を祝ってもらったヒミツキチ森学園のあおです。
さて、今日は「小学校の不登校の原因は?」と題して書きたいと思います。
- 自分自身が小学校の時、不登校の経験
- 小学校教員15年間の経験
- オルタナティブスクールの経験
の3つからお話しできればと思っています。
あお
今日の話は結論が出る話じゃないので、あらかじめご承知おきを。
目次
きっかけは不登校に関するニュースから
クリックしてほしいための「つり」だと思うのだが、明らかに題名に悪意がありそうだ。
この記事では、小学校の不登校でもっとも多いきっかけは、「先生」としている。
確かに割合としては、先生が多いのだが、ここで注目してほしいのが、「身体の不調・生活リズム」も同じくらいの割合がいるということ。
そしてそれらは自身の身体のことがきっかけなのか、学校という場や人がきっかけで起こっているのかわかっていない。
現によくわからないと答えた人も同じくらいいるので、自分自身でわからない人も多い。
そしてアンケートに答えられている小学校6年生ということで、もっともっと多くの人に聞いてみたら、結果も変わってくるのだろう。
不登校をつくっているものって何なんだろう。
ただ1つ言えることは、ボク自身、先生がきっかけで不登校になったということだ。
原因が人に起因していると考えていた
記事にも書いたのだが、ボクも小学校4年生の時、不登校だった。
担任の先生が怖かったのだ。自分も怒られるし、人が怒られるのも嫌だった。
こういう状況って今も変わっていない部分ってあるよね。
まーくん
ボク自身、そこからの経験を生かして教員をやれたらよかったのだが、自分が経験してきたものは、先生なりたての頃消えなくて、強い指導をしてしまったこともある。
今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ボク自身、不登校の原因は、何らかの人間関係に起因することが多いのではないかと信じていた。ボク自身がそうだったように。。。
調査でも割合が高い、先生や友達に関係することが多いのだと。
ただ、自分の親に30年経って聞いてみたことがある。
「自分の不登校だった時の気持ちってどんな感じ?」
返ってきた言葉は、
「え、あんた不登校だったっけ?」
びっくりした。
母親はあまり記憶がないという。妹の不登校の方が、よく覚えていると。
ボクにとって不登校だったきっかけになっていた先生が、毎週自宅に来て話をしてくれたり、3学期の間中、休んでいたにも関わらずだ。
あれ、ボクの記憶が違うんだろうか。小学校4年生のボクの記憶は、ちょっと自分本位で見てしまっていたのかもしれない。
そんなふうに考えると、人に起因することが多いというのは、本当なんだろうか。
ただ集団や学校という場が苦手な子達
今、ボクはオルタナティブスクールで先生をしている。
よくある質問に
「この学校は不登校の子が通うところなんですか?」
というものがあるのだが、答えはNOだ。
オルタナティブスクールとフリースクールの2つが混ざっているんかもしれない。
ただ、ボクらの学校にも、ボクのように学校に通えなかった子どもたちもいる。
でもその子たちが毎日、本当に生き生きしている姿を見ると、ここが1つの場所になっているのも嬉しく思う。
あるとき
「学校に通えなかったのはどうして?」
たわいもない世間話の間に聞いてみた。
返ってきた答えは、
「学校っていう空間が苦手だった」
「多くの人数が苦手だったんだよな。」
ということだった。
人に起因していると考えていた自分は驚いた。
あお
空間や場所が苦手、なんとなく合わないって子はいるんだろうな。
そう思った。
そしてその数は近年ますます多くなっているんじゃないかなぁと。
思えば、自分が受け持ったクラスにもこういう子が多かった。元々集団が苦手だったり、自分を表現しづらかったり。。。
そんな子が、うまく集団に入れないことや、学校に馴染めないことを、先生や友達から強く言われたり強制されたりするときに、きっかけになっているんじゃないかなぁとも思う。
あくまで推測でしかないが。
受け皿となる学校が日本中に
これは決して学校という場所を批判しているのではない。
学校は、たくさんの子が通う場所として、その受け皿として非常に大きな役割を果たしてきた。それはこれからも変わらないはずだ。
では、その場所が苦手という子に対しても、学校に任せる、先生の力量に任せる…というのは、無理を強いすぎていないだろうか。
それでは先生が、学校が疲弊してしまう。
集団が苦手な子、学校という場所が苦手だという子であっても、みんなと何かをやるのが嫌いなわけではない。
少ない人数なら安心ができるし、自分のスペースが確保されていて、居心地のいい場所だと感じれば、自分を発揮することができる。
そんな場所が学校の中にあってもいいし、外にその受け皿があってもいいと思う。
自分たちのようなオルタナティブスクールがそれを担えばいいし、そんな場所が増えていけばいいと思う。
ボクらの学校のビジョンは「自分のどまんなかで生きる」
どこかと対立するわけではなく、子ども自身が自分のどまんなかを大事にできたらそれでいい。
感情を大切に 自分らしく生きる
子どもたちの感情を大切にしたい。
ときに、自分の感情で話をしてしまうことがあるので、その辺りは、ボクはまだまだいろんなことを学び、振り返りを重ね、先生として一人の大人として自分と向き合っていく必要がある。
感情を大切にするというのは、全てを許す、好き放題させることじゃない。
そこにはたくさんの対話とリフレクションがあって、子どもたちの共創が生まれている、自由の意味もみんなで考えている。
よく自分たちの学校に来て聞く感想は、
「子どもたちが元気、エネルギーが高い」
ってこと。
元同僚にも言われたこと。
学校が悪いのではなく、
学校に行けない子が悪いのではなく、
親の育て方が悪いのでもない。
合わない子は、合わない子の選択肢が生まれて、それが自然になればいいと思う。
思えば、自分が子どもの頃は、「登校拒否」という名前だった。それがボクが先生になる途中に「不登校」に変わった。拒否よりは不(あらず)の方がまだいいが、それでも登校が前提となっている。
いろんなきっかけで生まれている学校に登校しづらい子が、自分を大事にできる場所が日本中にできたらいいなぁと思うし、そういうところと今後繋がっていきたいと思う。
うちの学園で良ければ、ぜひ実際に来て、感じてもらえたらと思います。