おはようございます。
川遊びにはしゃぎすぎたヒミツキチ森学園のあおです。「童心にかえる」とはまさにこのこと。
さて、今日は「オルタナティブスクールの先生をして変わったこと」です。
ボクは4月から公立の学校を退職し、ヒミツキチ森学園の先生をしています。今日はそれから4ヶ月で生まれた変化について書きたいと思います。
あお
決して公立の学校批判ではありません。ボク自身の変化です。
捉える人の状況によっては、そうなるもんね。。。。
まーくん
あお
妻の両親も先生一家だからね、批判なんてしたら。。。
さ、早速いってみましょー!
まーくん
目次
「みんなで同じ」の価値が薄れた
ヒミツキチ森学園では、「みんな同じにすること」よりも「一人ひとりが違う」ことを大事にしています。
「ことば・かず」の授業でも、一人一人が違うので、一緒にやるってことはあまりありません。どこで学ぶのも、誰と学ぶのも、何を学ぶのも、どうやって学ぶのも、自分自身で決定していきます。
みんなで同じじゃないから、一人ひとりに寄り添える。みんなで同じじゃないから、ググッと学びに没頭していくんですね。
一昨日の終業式でも、二人の1年生が
「かけ算をやってみたい!」
と話していました。
基本的な計算や時計の学習を終えた彼女たちは、きっと2学期には、「かずの地図」を見ながら、かけ算に挑戦していくことでしょう。
みんな同じじゃないと言うことは、先生側にとっては一人ひとりに応じるのは大変です。しかし、自分のどまんなかにせまる絶対条件でもあるんだなぁとここに来て実感しています。
「自分で選ぶこと」がどれだけ大切かを実感した
1年生なんですけど、植物の導管に興味を持って、庭にある植物から選んでいる最中の写真です。
学びの中にあふれる
「自分で選ぶ」
こと。
これが最初は難しいんですよね。
自分で選ばなくてもいいようになっていることが世の中に非常に多いんです。
youtubeは自動的に次に動画を再生してくれるし、子供の遊び道具のレンタルなんてサービスも出てきている。
ボクは、洋服を買うときに、店員さんに話しかけられるのが非常に嫌いなんですが、世の中自体が、「アパレル店のグイグイくる店員さん」があふれるようなサービスの設計になってきていると思うんです。
自分で選ばなくても困らない世の中。でも、本当に大事な選択はそうじゃない。
「自分で選ぶ」んです。「自己選択・自己決定」が大事だと思うんです。これを積み重ねていないとできないということではないと思うんですが、それでも選んでいくことは経験してないとなかなかしづらいこと。
あお
youtubeを見る娘の顔つきを見ていると本当にそう思う。
ヒミツキチ森学園では自分で選ぶことを大切にしています。
マイプロジェクトの授業では、自分が探求したいことを自分で選択します。ワールドオリエンテーションでも自分で問いを立てます。
毎時間、小さな自己選択・自己決定がある。
この毎時間の選択が、積み重ねていくと非常に大きな力になるんだなぁと、子どもたちの4月からの伸びを見て強く思っています。
Designして観察することから授業がスタート
ボクはPDCAにずっと疑問を持っていました。
そこからOODAモデルという考えかがあるのを知り、授業にはこちらの方がしっくりきていることがわかり、実践をしていきました。
ヒミツキチ森学園の授業は、OODAモデルで回せるように設計しています。
先生の一歩は、観察から入ります。
観察して、方向性を見極め、どう関わるかを決定して、その場で作っていきます。
もちろん何にも考えていないわけじゃないので、ある程度のことはDESIGNします。最小限になるように、授業の基本的な流れは、大体同じになるように設計しているのです。
そうすることで、子どもたちは、自分たちで学びを進めることができます。
ボクらはその様子を観察することから、始めるんですね。
今読んでいる本「感性思考」の中にあるのですが、
外国のある空港では、旅客機の荷物受け取り時間に不満を持つ乗客が多く、そこでのクレームが多かったようです。
論理的に考えて解決策を考えたチームは、旅客機の荷物積み下ろしのシステム時間を短縮し、10パーセントの時間の削減に成功したそうです。でも、それではクレームは全く減らなかった。
別のデザイン専門のチームが解決策を考えたところ、乗客の行動をじっくりと観察したそうです。
そこから、荷物積み下ろしの物理的な時間は大きく変えられないから、乗客が時間をかけて、荷物の受け取り場所に到着するように、飛行機を降りてからのルートをわざと遠回りさせるように設計し直したのです。
乗客は遠回りをさせられていますが、あまりそのことは関係ないようです。たっぷり時間をかけて歩かされた分、荷物はもう届き始めている。だからすぐ受け取れて、クレームは激減したそうです。
授業についてもボクは論理(ビジネスやサイエンスという表現を本によってはしています)の部分より、感覚(アートや美意識という表現がされます)の部分の比重を上げていくこと…これこそ大事なことだと考えます。
論理的な思考でいくら綿密な計画を立てた授業を設計していても、トンボが一匹入ってきただけで、子どもたちはぎゃーっとなりますよね。
観察から始める人間を見つめる思考こそ、これからの教育に必要なのではないでしょうか。
振り返りの質が尋常じゃなく上がった!
学園にはいろんな大人がやってきます。
親チームが一緒に授業を聞いていたり、
いちにち先生で、プロフェッショナルの方がきたり、
プロジェクトチームの見学者がやってきたり、
何より、ボク一人で授業しているのではなく、必ずもう一人メンバーが同じ授業を見ています。
「同じ授業を見ている人」と振り返りができることに、大きな価値があることがわかりました。
確かに公立にいるときは、自分しかその場にいなかったもんね。
まーくん
あお
いるのは、特別な時だけだったね。
今は毎時間、授業は一人で行っていません。オンラインの時も、言い換えれば毎日のが授業参観だったんですよね…。
でも、すっかり慣れると、それが当たり前になるし、その方がいいことに気づくんです。
毎日の振り返りの際に、他のメンバーから教えてもらうこと、気づきの共有は非常に学びになります。
昨年度ボクは学年の振り返りを続けていたのですが、
それ以上の価値があります。
このシステムが学校現場にも入るといいなぁと思います。人数的には各クラス1名ですが、やり方次第では、できるんじゃないでしょうか。
「評価は後から」の本質的な意味がわかった!
評価をが先にあって、「指導と評価の一体化」が大事だと信じられていますが、ボクは仲間との対話との中で、逆だよなぁと思っているんですね。
評価は後にある。
子どものできるようになったことやできたことを見極めながら、一緒にそれを確認し、次の旗を立てていく…
それが評価ではないかと。
あお
ここら辺はまだ勉強途中です。夏にこの本を読み切ります。
イエナプランのヤンセンの自転車モデルでも、学習指導要領と照らし合わせるのは、すべての後になっているんですね。最初、これを見たときに「あれっ」って思ったんですが、評価は先にないんですよ。
子どもたちの学んだことは一人一人違う、だからそれらを後から評価し、価値づけ、次の学ぶべき内容を一緒に考えていくんです。
これは、学習の形が何を学ぶかではなくて、「どう学ぶか」で分かれていないと難しいと思っています。
現状を確認し、一緒に次の旗を立てるということを先生と児童でやっていく、だからこそ子ども自身が自分の状況を分かり、次の学びを創ることができる。このような評価が、求められているんじゃないでしょうか。
このあたりののシステムは夏休みにガッツリ作ります。
あお
ボクの仕事です!
変わったこと、おまけ!
上の5つほどではないのですが、変化したことを最後はおまけで紹介します!
歌が上手くなった
車通勤をしていて、「高速道路に乗っている間は、熱唱する」というルールにしていたら、高音が出るようになってきました(笑)
ウクレレでの弾き語りに磨きをかけます!
靴下を履かなくなった
ヒミツキチ森学園は無垢材を使った床です。裸足が本当に気持ちがいいんですね。
家の中という感覚なので、裸足で過ごすことが多いです。通勤にも風通しがいい靴で運転しているので、靴下を履くってことがほとんどなくなりました。
年中履いてたものが不要って変な感覚だね!
まーくん
あお
冬場は寒さで必要そうだけどね。。。
心の疲れがほとんどない
ヒミツキチ森学園にきて感じるのは、心の疲れが少なくなったということ。
やはり、「〇〇させる」ってことを今まで自分に強いてきた部分があったのかもしれません。自分がおかしいなと感じていることについても、「全体のためならしょうがない」と感情を誰かのために使うことも多かったです。
同じ誰かのためでも、「望むことを存在させる」ように考え使えているので、疲れが少ないのかもしれないです。
「望まないことをなくす」ことに力をかけるんじゃなくて、「望むことを描く」人生でいたいなぁと思ってるんです。
叱る・怒るは必要ないのがわかった
上のことと重なりますが、「叱る・怒る」もなくなりました。
ボクは「誰かの時間を奪うこと」については、かなり敏感なんです。
あお
でもなぜか遅刻をしちゃうんです、皆さんすみません!
時間があって、でも子どもたちが動かないって時に、感情的になってしまうことが多かったんですね。
でもそういった意味で「強いられる時間」というのも今は無いです。もちろん授業のスタート・終わりなどは守りますが、余計な強制がかかっていないことは、子どもたちもボクらもフラットにいれることにつながっています。
紙の書類が100→0へ
1週間に100枚は紙の書類に触れていましたが、それが0枚になりました。
激減!!
まーくん
必要ないことがわかりました。
どっかからやってくることもありませんし、そもそもボクらが書類を生み出さないようにしているのも大きいかもしれません。
保護者への連絡はstoryparkというアプリで行っていますし、書類を発信しないんですね。
圧倒的に楽になったな。
さて、オルタナティブスクールの先生になって変わったことを挙げてきました!
他にもまだまだあるんですが、また1年後ぐらいに書いてみようと思います。
あお
それでは今日も良い一日を!