おはようございます。
えんとつ町のプペルで泣きまくった「あお@aosenn」です。おすすめです。観にいってください(笑)
あお
ちょっと過去の自分を振り返りたくなって書いてみます。
ボクは周りとのコミュニケーションを上手に取れない人です。
正しくは、取りたくても取れない人っていうのが正しいと思います。
自分の理想と、今の自分の差が大きければ大きいほど、落ち込みがちだし、おかしな行動をとりながら生きてきした。
- 周りの先生たちと上手くいかないことが多い。
- コミュニケーションが苦手だと感じることがある。
- 多くの人に囲まれているこの仕事、好きだけど疲れることがある。
おいおい、先生だろ、そんなんで大丈夫か?
まーくん
あお
ごもっとも、でもこんな先生もいたんですよ。
目次
小学生の時のコミュニケーションに対する違和感
ボク自身、周りとうまくいかないなって思い始めたのが、小学校3・4年生の頃。
ここで一番、自分が変にこだわっていたのは、周囲との家庭環境の違いだったかもしれません。うちも決して貧乏ではなかったのですが、住んでいる地域が、高級住宅街だったというともあり、色々な違いがありました。
今なら気にしないし、大丈夫なんだろうけど、子どもの頃ってやっぱそういうのに敏感になっちゃうんでしょうね。
親の言うことに反抗してみたり、周囲の友達を妬んでみたり散々でした。
それでも味方になってくれる、忘れさせてくれる、先生の存在が大きかったと思うんですけど、先生と上手くいかない年が4年生でした。
そして不登校になってしまいました。
先生がどうだったって言うこともあったけれど、きっとそれだけじゃないんだと思います。
周囲とも上手くいってなかったんです。
ボク自身、泣き虫だったし、きっとわがままだったし…
そんな感じだったんだね。
まーくん
あお
今も根本は変わっていない気がしますが。。。。
中学校・高校でもコミュニケーション不足が露呈
不登校から復帰した後は、成績も運動能力もグーンと伸びました。
小学校高学年から、中学校にかけて、「上手くコミュニケーションをとりたい」という気持ちが強かったので、優しく振る舞う自分がいました。
でもそれも長くは続かなかったんです。
周囲に優しくしようとすると、そこに対して優しさを強く求めてしまうんです。同じ量の優しさを求めると、勝手に傷つくことも多くなります。
あお
この生き方はボクにはできないと強く思いました。
自分らしく振る舞おうと。
でもそれが良い方向へと向かわないのが、中学生なんですよね。バランスがまぁ取れないわけです。
わがままだったり、自分本位のところがあったので、まぁ周囲とは対立していきました。
自分と一緒にいてくれる大切な仲間もいれば、自分の悪口を言う友達もいました。
でもそれで良いかなって気持ちもちょっと芽生えてました。
あお
今、思うと、そう思うことで必死に自我を保とうとしていたのだと思います。
高校でもおんなじ感じ。
理解してくれる人と、おかしな目で見る人と、分かれていた気がします。
特に高校の時は迷走していたいんで。
大学入試前とかは、周りと目を合わしたり、挨拶したりするのもなんかできなくなってた時期がありました。
そりゃきっと恨まれるよね。
まーくん
コミュニケーションに変化が生まれた大学時代
浪人時代を超えて、教育系の大学に入ってからもそんな感じだったのですが、入学後しばらくして、あることに気がつきました。
それは、人の悪口を言う人からは離れることができる!ということです。
大学っていろんな人がいるし、数も多いし、集団での拘束力もないので、友人も自分で選べるんです。
ボクは本当に大事にしたい人と一緒にいたい。
そう思うようになりました。
悪口を言う人から距離を置き、自分を理解してくれる人、そしてボクも心を寄せられる人と付き合うようになりました。
周囲が何と言おうと関係なしに。
小学校から高校までって、一緒の空間にいすぎる気がするんですよね。
いい意味で友人を選べない。
なんか息苦しさを感じる。
その息苦しさを生み出す側にボクがいることに対する違和感もあり、そうじゃない場所を創れないか、ずっと考えてきました。
今やりたいことと、やんなくちゃいけないことの間にだいぶ差がある。
それを飲み込んでやれよって言われたら、まぁその通りなんだけど、それが飲み込めないくらいの開きが出てきちゃったら、そもそもの前提を考えないといけない。
そもそもの前提を崩すために人と自分と対話が必要。
— あお | 先生をアップデート (@aosenn) May 17, 2019
あお
この時に感じたことが、学級経営の基盤になっていますね。
教員としてのコミュニケーションは不足していたはず
先生として、周囲とどんな感じでやっていたの?
まーくん
あお
それがわかる文章として、Facebookの投稿を載せておくよ。
【死ぬほど嬉しかった話】
15年前に遡って、2005年。
ボクは先生になりました。
いい先生に出会えてたから。
それぐらいしか思いつかなかったから。
人の役に立てる仕事をしたいと思ったから。
理由は様々です。
小学校の現場は楽しく、そして多くの子が通う現場としてとても大きな価値を持っていて毎日が楽しかったです。
もちろん苦しいこともありましたが、それはそれでいい経験。上手くいったことは何か、上手くいかなかったことは何か、分析は得意じゃないけど、振り返っては次の手を打つことを続けているうちに、なんとか学級経営がまともにできるようになりました。
ただ多くの人に迷惑をかけました。
同僚にも目を向けなかったボクは、疎まれていたと思います。
正直いうと、向ける余裕なんてなかった。
早く一人前にならないと。
一人でできるようにならなくちゃ。
いつも目の前の子たちにとって何が大切かで精一杯だったので、同僚の飲みの誘いは断り、同期の集まりには顔を出さず‥
ずっと付き合いの悪い、そんな感じでした。
2校目、3校目、ともに一生付き合っていきたい同僚に恵まれて、なんとか楽しくやってこれました。本当にありがたい限りです。今でも飲みに行ってくれます。
でも後輩は育てられたかというと、これもいつも目の前のことばかりで申し訳なかったなぁと。
「後輩を育てる役目だからさ。」
と言える同期が眩しく見えました。
ボクもそろそろそんな歳か‥
もっとやりたいことがあるんだけど…
子どもたちのためにこうしたらいいと思うんだけど‥
そんな気持ちを抑えこんで、
「ボクも後輩を育てる年になったから」
自分のやりたいことはしまいこみ、そう言おうと思っていました。
でもヒミツキチに出会い、気持ちが揺らぎました。
自分のやりたいことをこんなに真っ直ぐやろうとしている人たちがいる。
気持ちを全面に出して、新しいものを作り出そうとしている人がいる。
抑えようとしていた気持ちを蹴り飛ばし、ヒミツキチに加わることを決めました。
異動と共に退職する先生を、校長先生が発表した時も、ボクは後ろめたさがあり、気まずさからかその日に早退したのを覚えています。ちゃんと話せたのは、茶話会という3月末のお別れの日でした。
それから8ヶ月。
いろんな方のおかげで今ここに立っています。
ヒミツキチは順調にいろんな人の手でどんどん進化しており、子どもたちにとって安心して学ぶ姿、そしてメンバーや親チームにとっても大事な学びの場になっています。
何よりも嬉しかったこと。
それは11月に昨年学年を組んでいた二人が見学に来てくれたこと。忙しい、運動会の代休の日を使って、1日見学してくれたこと。
長い年月がかかったけど、最後の一年は同じ学年の二人とも、本当にいい関係が築けて、信頼し合えていた。そんな二人にこの学園を見てもらえて嬉しかった。
ただこの場に来てくれたことが本当に嬉しくて、何度もありがとうを伝えることができました。
今、ヒミツキチは一人ではなく、たくさんの方と一緒に進めています。一緒の場を見ているメンバーと振り返りできることで気づきも本当に多く、親チームからもらう2週に1回のフィードバックは本当に芯をついていて、ありがたい限り。
こうやって振り返ってみると、どんな経験も本当に無駄じゃなかった。
少しずつだけど成長できている気がします。
早く行きたきゃ一人で行け。
遠くに行きたきゃみんなで行け。
ちょっとでも遠くへ、たくさんの仲間と歩んでいこう、静かに決心したここ最近の出来事でした。
少しずつ少しずつだけど、ボク自身も成長しているんだなぁと思いました。
やれないことも多いけれど、できるようになったことも多いんです。
コミュニケーションに悩んでいる教員の方がいたら‥
どこの学校行っても、一人か二人なんだけれども、一生付き合っていきたい同僚ってものがボクにもちゃんといて。
半年に一回とか定期的に会うように、飲むようにしている。
こんな自分にもちゃんと価値を置いて、対等に接してくれる人、そんな人に惹かれるんだなぁ。
ほんと、ありがたい。
— あお | 先生をアップデート (@aosenn) May 17, 2019
きっとどこ行っても、「みんなと仲良くする」みたいなのができない自分だから、あんま人と群れて飲みに行ったりできないんだと思う。
この一生付き合いたい人が数人、生まれればいい。
人あたり悪く無いと思うけど、時間をそこに割かないってことも、ボクにとっては大事なこと。 https://t.co/UweHB8oSOg
— あお | 先生をアップデート (@aosenn) May 17, 2019
ボク自身、もう付き合わなくて良い人とは無理に付き合わなくなっています。
大切な家族もあるし、そこに割く時間を一番多くしたいから。
これからも色々と幅は広げていくと思うんですけど、誰とでも付き合える人間じゃないのも自分でわかっているんで、人付き合いにたくさんの時間は割けないんです。
35人に囲まれる1日を過ごすと、ふうっと一人になりたい瞬間が何度もありました。
あお
でも、そんな先生でも15年間、楽しくやれたんです。
八方美人ではなく、自分自身に正直にいると、ちゃんとそれを理解してくれる人はあらわれて、年々、大切にしたい人が増えていっているのも確かです。
新しくできた仲間も、大切にしていきたい。
友人の数は決して多くはないけど、深く付き合う友人の数は、実は多いんじゃないか。
そんな風に思えるようになりました。
小学生にこの辺のことを伝えるのは難しいけれど、最後に6年生を持った時には、こんな話もしたと思います。
「自分自身のことを理解してくれる人がいて、その人ためなら時間を割きたい自分がいること」
「色々悩んできたけど、友達は自分のあり方次第で選べるということ」
「だから、誰からも好かれようとする必要はないし、それは幻想だよ」
少なからず、6年生には伝わっているといいのですが…。
周りともコミュニケーションが取れなかった自分でも、今は幸せに生きています。
最近思うのは、何かを絞ることってある一定の強さや覚悟が必要なんじゃないかなぁということです。
誰しもと上手くいくなんてありえないから、ボクはボクの上手くいく範囲がわかっていて、それでその範囲の中を大切にしようとしている。
でもそれだけじゃ、ときに自分の成長にならないから、面白い人、大切にしたい人を増やすために、自分の可能な範囲でちょっとずつ広げていく。
広げていくのが目的じゃなくて、広げては戻す‥そんな揺り動かす感覚こそが大事なんじゃないか。
想い、悩みながら、ゆっくりと手の届く範囲の幸せを大切にしていく。
一気に大勢を見ないし、自分のできることにフォーカスを当てながら。
長々と書いてしまいました。お読みいただきありがとうございました。
あお
それでは今日も良い一日を!