ボクはコミュニケーションを取るのが苦手です。

おはようございます。

 

ちょっと過去の自分を振り返りたくなって書いてみます。

 

ボクは周りとのコミュニケーションを上手に取れない人です。

正しくは、取りたくても取れない人っていうのが正しいと思います。

 

自分の理想と、今の自分の差が大きければ大きいほど、落ち込みがちだし、おかしな行動をとりながら生きてきした。

 

あお先生

まぁいろいろ、思っていることを書きますね。

 

 

小学校のときの不登校

Pezibear / Pixabay

 

ボク自身、周りとうまくいかないなって思い始めたのが、小学校3・4年生の頃。

ここで一番、自分が変にこだわっていたのは、周囲との家庭環境の違いだったかもしれません。うちも決して貧乏ではなかったのですが、住んでいる地域が、高級住宅街だったというともあり、色々な違いがありました。

 

今なら気にしないし、大丈夫なんだろうけど、子どもの頃ってやっぱそういうのに敏感になっちゃうんでしょうね。

 

親の言うことに反抗してみたり、周囲の友達を妬んでみたり散々でした。

 

そん時につながれていたと感じていた先生の存在が大きかったと思うんですけど、その先生と上手くいかない年が4年生でした。

そして不登校になったのです。

 

その時の記事がこちら!

先生だって不登校でした!「学校は行かなくてもいい」を読んで

 

先生がどうだったって言うこともあったけれど、きっとそれだけじゃないんだと思います。

 

周囲とも上手くいってなかったんです。

ボク自身、泣き虫だったし、きっとわがままだったし…

 

そんな感じだったんだね。

まーくん

あお先生

今のボクも、基本的には変わっていないんだよね。

 

中学校、高校でも友人は2つに分かれる

geralt / Pixabay

 

不登校から復帰した後は、成績も運動能力もメキメキ昇って行きました。

 

小学校高学年から、中学校にかけて、ボク自身「上手くコミュニケーションをとりたい」と言う気持ちがったので、優しく振る舞う自分がいました。

 

でもそれも長くは続かなかったんです。

 

周囲に優しくしようとすると、そこに対して優しさを強く求めてしまうんです。同じ量の優しさを求めると、勝手に傷つくことも多くなります。

 

あお先生

この生き方はボクにはできないと強く思いました。

 

自分らしく振る舞おうと。

でもそれが良い方向へと向かわないのが、中学生なんですよね。バランスがまぁ取れないわけです。

 

わがままだったり、自分本位のところがあったので、まぁ周囲とは対立していきました。

自分と一緒にいてくれる大切な仲間もいれば、自分の悪口を言う友達もいました。

 

でもそれで良いかなって気持ちもちょっと芽生えてきました。

 

 

高校でもおんなじ感じ。

理解してくれる人と、おかしな目で見る人と、分かれていた気がします。

特に高校の時は迷走していたいんで。

 

大学入試前とかは、周りと目を合わしたり、挨拶したりするのもなんかできなくなってた時期がありました。

 

そりゃきっと恨まれるよね。

まーくん

あお先生

ボクのことよく思っていない人も多いんじゃないでしょうか。

 

 

変化が生まれた大学時代

kalhh / Pixabay

 

浪人時代を超えて、教育系の大学に入ってからもそんな感じだったのですが、入学後しばらくして、あることに気がつきました。

 

それは

人の悪口を言う人からは離れる

と言うことです。

 

大学っていろんな人がいるし、数も多いし、集団での拘束力もないので、友人も自分で選べるんです。

 

ボクは本当に大事にしたい人と一緒にいたい。

そう思うようになりました。

 

悪口を言う人から距離を置き、自分を理解してくれる人、そしてボクも心を寄せられる人と付き合うようになりました。

周囲が何と言おうと関係なしに。

 

 

小学校から高校までって、一緒の空間にいすぎる気がするんですよね

いい意味で友人を選べない。

なんか息苦しさを感じる。

 

その息苦しさを生み出す側にボクがいることに対する違和感もあり、そうじゃない場所を創れないか、ずっと考えてきました。

 

 

一生大事にしたい大切な仲間は多くはないけど…

5688709 / Pixabay

 

 

 

ボク自身、もう付き合わなくて良い人とは無理に付き合わなくなっています。

 

大切な家族もあるし、そこに割く時間を一番多くしたいから。

 

これからも色々と幅は広げていくと思うんですけど、誰とでも付き合える人間じゃないのも自分でわかっているんで、人付き合いにたくさんの時間は割けないんです。

 

ただ、こうやって八方美人ではなく、自分自身に正直にいると、ちゃんとそれを理解してくれる人はあらわれて、年々、大切にしたい人が増えていっているのは確かです。

 

新しくできた仲間も、大切にしていきたい。

 

決して多くはないけど、深く付き合う友人の数は、実は多いんじゃないか。

 

そんな風に思えるようになりました。

 

 

小学生にこの辺のことを伝えるのは難しいけれど、昨年度6年生の最後の方には、こんな話もしたと思います。

 

「自分自身のことを理解してくれる人がいて、その人ためなら時間を割きたい自分がいること」

「色々悩んできたけど、友達は自分のあり方次第で選べると言うこと」

「だから、誰からも好かれようとする必要はないし、それは幻想だよ」

 

少なからず、6年生には伝わっているといいのですが…。

 

 

周りともコミュニケーションが取れなかった自分でも、今は幸せに生きています。

 

結局ボクが言いたいことって、絞ることってある一定の強さや覚悟が必要なんじゃないかなぁということです。

誰しもと上手くいくなんてありえないから、ボクはボクの上手くいく範囲がわかっていて、それでその範囲の中を大切にしようとしている。

でもそれだけじゃ、ときに自分の成長にならないから、面白い人、大切にしたい人を増やすために、自分の可能な範囲でちょっとずつ広げていく。

広げていくのが目的じゃなくて、広げては戻すみたいな感覚。

時に広げる時があるんですね。

 

そんな風にしながら、手の届く範囲の幸せを大切にしていく。

一気に大勢を見ないし、自分のできることにフォーカスを当てながら。

 

 

 

長々と書いてしまいました。お読みいただきありがとうございました。

 

 

あお先生

それでは良い一日を!

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