おはようございます。連続のオフライン登壇は身体に堪えることが判明したヒミツキチ森学園のあおです。でもいい出会いでした、感謝です!
今日は、夏休みの作品展示会についてです。
皆さんの学校では、自由研究の作品展示を行いますか?行うけれど、期間も入れて大々的に行なっていますでしょうか?
ボクは娘の自由研究への取り組みから、少々、展示会というあり方に疑問を持ちました。
目次
自由研究展示会へのアンケート
Twitterでアンケートを取ってみました。
結果はこの通りです。
やはり圧倒的に展示会タイプが多いですね。しかしながら全く展示していない学校もあるようで、やはり必要ないというかこういう文化がない地域もあるのでしょうか。
ボクの学校は①なので、ちょっとどうにかできるように動いていこうと思い、提案も考えていました。
価値があるのは創ること、飾ることではない
娘は昨年の沖縄旅行の際に、シーサーの絵付け体験を行いました。
我が娘ながら本当に熱心に色付けをしていきます。
彼女の凄いところはその細かさ。
あお
ボクには全くない資質です。
やろうと思えば20分で終わろうというその工程を彼女は1時間半ぐらいかけながら、考えて手を動かしてはまた考えて…色をつけていきます。
1年生ながら細やかな色遣いー!
まーくん
その時強く思ったのは、創るプロセスに価値があるってことです。
うちの娘としても、その創るプロセスを最大限、楽しんでいるのがよく伝わってきました。もちろん友達からの評価も嬉しいとは思いますが、創作自体が素晴らしい体験になっているのは一目瞭然。
そこで終わりでいいんじゃないかなぁというのが、親になっての感想です。
家の玄関に飾りたいと話していますし。
自由研究の作品が壊れるリスクを取るのか
それと同時に思う浮かんでしまったもう一つのこと。それは…
「これ、壊されたら悲しいだろうなぁ」
でした。
夏休みの展示会、特に低学年なんかは、触ってしまって壊れることも多いです。
だから、
「本や冊子以外は、触るの禁止」なんて取り組みをする場合もあるのですが…
それでも触っちゃいたくなるのが小さな子ども。
目の前にあったらそうですよね。
ボクのクラスも、以前1回ぐらいはあったかもしれません。
その度に電話をするのは心苦しくて…。
いたたまれない気持ちでいっぱいです。
まーくん
あお
そこは本当に苦しいところです。
ボクも最大限、気をつけながら展示をしているところです。
でも気をつけていても起こってしまうのが、小学生。
このリスクって結構大きいなって思うんです。
自由研究を展示することで生まれるもの
さーて、考えていきたいのは、展示することで何が生まれるかってことです。
一生懸命作った作品も、1日で作った作品も同じ場に出されることで、何が起こるでしょうか。
まずは「比べる」ということです。
触れて欲しいのは作った人の想いなんですが、子どもたちは簡単に出来栄えに目がいってしまいます。一生懸命家族の思い出を込めて一緒に思い出として作った作品が見向きもされずに、すぐ横のキットで作った、ビー玉パチンコに長蛇の列…なんて光景が溢れています。
あお
これ、あるあるです。
展示することで、他の子がどんな遊び方をするのか触れ方をするのかっていうデザインが必要になると思うのですが、作品を作っているときにそんなことまで考えて欲しくはないんですね。
自分で作りたいものを作るということと、展示してみせるということは、分けないといけないとボクは思います。
いろいろな環境の子どもがいるということ
そして地域によっては、色々な家庭があるという事情もあります。
仕事が忙しくなかなか旅行に連れて行ってもらえない家庭もあります。旅行記一つにしても、色々と違いが出てしまうところです。
発表をしっかりやればやるほど、少し「自慢」のように聞こえてくることもあるんですよね。
そういう環境に配慮すれば、ボクは班で見せ合って、もしくはクラスの中で見合って終わりぐらいでもいいかなぁと思っているところです。
自由研究の「研究」の指導もできないものですから、ただの作品作り、図工のような形のものが年々増えているのも、肌で感じるところです。
自由研究の展示会を無くしていった前例もある
Tweetしてみたところ、以下のような反応をいただきました。
会議して、見直して無くしている学校もあると聞いて、そうだよなぁと納得です。
もうちょい詳しく聞いてみればー!
まーくん
あお
かいぴーには直接コンタクトとれるからね!
さーてここで大事なことは、このまま愚痴やこれはダメだで終わってしまっていては、二次情報にリツイートしまくる価値のないコメンテーターと化してしまいます。
ということで提案。
まずは、飾りたい人は飾る でいいんじゃないかなぁと思うんです。
みんなで見あったり、班で見あったりすることはしたとしても、外部に見せるまで飾る必要はありません。中で終わることでいいんじゃないかなぁと。
その代わり、たくさん聴き合うってことはしたいです。
作品の出来栄えじゃなく、それを作った、研究したストーリーに触れて欲しいんだね。
まーくん
作ったプロセスで考えたこと、どんな想いで作ったのか、それは友達と聞きあいたいなぁって思うんです。時間をかけているものは、きっとその子のこだわりがあって、もしかしたら「ずっと探究したいことの根っこ」に繋がることがあるかもしれません。
娘が小学生になったことで、考えること
今回のようなことは、娘が小学生になったからこそ、思い浮かんだことです。
やっぱり親になると、ちょっとずついろんなところに思考が飛び出ていくんだと思います。その断片を拾って、何か自分自身の行動につなげていくこと、それが親になって先生の在り方が変わるってことなのでしょうか。
貴重な経験をさせてもらっています。
親側の視点が得られるということはどういうことかというと、「うちの娘だったらこの時間何するだろう」って考えることですね。想像、イメージできる子どもの範囲が、娘のおかげでググッと広がるっているのを感じます。
さて、ヒミツキチ森学園では、お泊まり会を実施します。そこでは自由研究(うちではマイプロジェクト)の発表も予定しています。
無理せず伝えられたらなぁと思うし、そこではその思いをインタビューしたいなあって思うんです。
楽しみだねー!ワクワクする!
まーくん
ボクも楽しみにしています。
あお
それでは今日も良い一日を!