ヒミツキチでの遠足、花粉に負けず心から楽しんだあお@aosennです。遠足日和の一日でした!
さて、一昨年の沖縄旅行で感じたこと。
石垣島というか沖縄自体初めてでしたが、本当にサイコーの5日間でした。
旅行の日程はあまりきちっと決めず天候に合わせていきました。この「許さ」が旅行の肝だなぁと思ってるんです。
以前海外旅行に行った時は、もう予定は詰めれるだけ詰めて周ったものでした。もちろん初めて行くし、そう何回も行けるもんじゃないから、あれもこれも周りたくなってしまうんでしょう。
いろんなことに感動はするものの、なぜか残る猛烈な疲れ。
あお
旅しているのに、疲れてるんじゃ本末転倒ですよね。
旅にも余白が必要なんです。
余白が必要なのは、旅だけ??
まーくん
今日はここを深掘りしていこうと思います。
「教育にとっても余白は必要!」というお話です。
目次
教育、子どもたちにとっての余白の重要性
日々、頑張っている子どもたち。
でも先生って「その頑張りが続く」って思いがちなんですよね。
多分にもれずボクもそう。
つい
「こうでなければ」
「そうするもんだ」
というスイッチが入った時には、
「おーい、そこ!!」
と強い声をかけてしまうんです。
あお
長年、ここから抜け出せていないのが、ボクの欠点でもあります。
実は生活でも学習の中でも、ちょっとふざけちゃうぐらいの「余白」が大事なんだと思います。きっちり詰まった旅と同じように、きっちり詰まった学校生活もどこか、居心地が悪い。
居心地だけではなく、伸びが悪いんです。
「どこか緩い」
と叱られることもあるボクの教室ですが、ちゃんと余白をデザインすることで、成り立つものがあるんじゃないかなぁと。そんな風に思っています。
よはくが自分のペースを調整する力をつける
子どもたちは45分本気でいるなんてできません。
子どもなりにどこかで折り合いをつけて調整しているのが常だと思います。
子どもの時を思い出してみてください。
ボーッと窓の外を眺める時間をうまく持ちながら、授業をしていた覚えはありませんか?
ボクもそんな少年でした。
キッチキチにならないように、子どもはうまいこと調整する力を持っているんです。この調整する力は、「自分のペースで調整できる力」でもあるので、ボクは子どもたちの成長に必要な要素だと思っています。
ちょっと集中してなくても、身が入ってなくも
「おーい」
ではなくて、
「どうしたんだろう…」って考えるそんな余白が先生にも必要です。
思考の余白をつくる、声をかける前に間を持つことは、先生にとって大切なスキルの1つです。
すぐに声をかけることが、良いことではないんだね!
まーくん
あお
ボクらは気づいたら、それをしがちだと思うんだよね。
ボケっとしている時間の貴重さ
思考の余白のために、授業中にボケーっとする時間もありですよね。
よく幼児教育では、「ボケーっとする時間を大事に!」と言われています。あの時間、幼児はとてつもなくいろんなことを考えているのだそう。調整している大事な時間でもあるんです。
小学生も同じ。
このぼけっとする時間から大きなアイディアが生まれることもあるんです。
だから、先生に必要なのって、
余白をデザインすること
子どもが戻ってくることを信頼すること
なんじゃないでしょうか。
ヒミツキチ森学園では、毎朝ブロックアワーの時間を1時間ほど、とっています。
そこでの学習は、どこで、誰と、何を、どうやって学ぶかも、子どもたちに委ねられています。
あお
もちろん、段階を経てですよ、いきなりではなく。
今週の課題として先生と相談しながら進み具合を決めていくんですが、基本的にはどう学ぶかは子どもたちが選んでいます。
先生が進めていく授業ではないので、急かされるように何かをさせられるってこともほとんどありません。
でも、その中でうまくいかないこともある。
ちょっとボーッとしちゃう時もある。
その時も、ボクらは見守ることが多いです。
時間中ずっとボーッとしてたり、他の子の学びにとって邪魔をしていたりしたら、声をかけますが、1週間の振り返りの時間まで待って、一緒に振り返ります。
子どもたちの力を信頼しているからこそ、できることです。
「みんながやっているから」「一緒に進んでいく」という外部からの動機付けではなく、その子自身が学びをどう作っていくかという内部からの動機付け、この時にも、余白は非常に大切です。
直線的じゃない余白がある学びに面白さがある
常にしっかりとしていて、ちゃんとできることが前提だと、そこから逸れるものは弾いてしまうことになるかもしれません。
子どもの思考なんてまっすぐじゃないんです。
数年前のクラスでは、総合的な学習の時間で周年行事を記念して跳び箱をデザインしました。
総合的な学習の時間が校内研究になり1年目だったんですが、いろんな発見がありました。
その中で大きかったのが、真っ直ぐなだけが学びじゃないという時間を得たことです。
地域の看板屋さんに行って初めて、「大きな物への描き方」を学んだ子どもたち。そこにはボクも子どもも思いもつかなかった方法があり、感嘆したのを覚えています。
「何度も試す重要性」を教わり、たくさんの失敗を重ねて跳び箱を描いていきました。
結果、いろんな遠回りをしたものの、素晴らしい作品が出来上がりました。
10年経ったら、子どもたちが見に来られる、戻ってこられるような素敵な作品になりました。
ヒミツキチ森学園では、いい天気の日はふらっと海に遊びに行きました。
なに、その贅沢!?
まーくん
あお
いや、でも目的を持たないって大切なことだと思うんだ。
ボクら先生は何をやるにも、めあてや目的があって、子どもたちをそのレールに乗せがちなんですよね。でも本当に楽しいことやワクワクすること、学びになることって、このレールの外側にあると思いませんか?
あお
目的なんていらないと言いたいわけでは、ありませんよ。
時に、そのレールから外れて、子どもたちが面白いことをやりだす。そこからまた授業を作っていく、学びを作っていくという、目的を持たないことも必要なんじゃないでしょうか。
現に海では、子どもたちもボク自身もすんごいアイディアを得ることができました。
直線的な学びだけじゃない、こういう学びにも価値があるをぜひ先生は忘れずにいてくださいね。
余白をデザインすると、子どもたちが生き生きする!
結果的にですが、余白を大事にしてあげることで、子どもが子どもらしくいられるんじゃないかと思っているんです。
子どもらしくいられることは、大きな成長につながります。生きる力になります。
ワクワクした時間を学校の中に作るためには、詰め込むことより、削ること。
きちきちのカリキュラムをこなすんじゃなくて、必要なことを厳選すること、自分自身で選ぶこと。
そのための余白、あなただったら、どう作りますか??
あお
それでは今日も良い一日を!