おはようございます。
GWは野菜を植えようとのんびり考えているヒミツキチ森学園のあおです。
ボクが小学校教員時代、毎年「研究授業」というものがありました。
充実した研究になるように、最善を尽くしましたが、そもそもこの「研究授業」というシステム、本当にこのまま続けていく形がいいのでしょうか?
こちらのエピソードは音声でも楽しめます!
目次
研究授業って何??
先生をやっている方にはなじみの言葉になります。
自分や自分の学校のテーマに合わせて行う「研究する授業」です。
日本中多くの学校では、1年に一度、全員がこの授業を行う形になっているかと思われます。
この「研究授業」では、
- テーマが教科で決まっていて、数年周期(主に3年)で回っていく
- 自分のクラスを自習にして、他のクラスの先生の授業を見せていただく
- 授業後に授業検討会がある、講師として他校の校長先生、指導主事が来る
- 詳細な指導案を書き、授業に臨む
あたりは、共通点でしょう。
詳細な指導案をもとに、「事前授業」を他の全クラスで行っています。
授業をやる先生が他のクラスで行い、何度もやりながら、本番良い授業を目指していくわけです。
何それ、大変すぎない??
まーくん
あお
さすがに、何度もやるとね。。。
やりたくない人多発の研究授業の問題点
ボクが思う問題点は…
- 講師で校長先生を呼ぶのが前提
- PDCAのうち、PとDが大部分。
- 普段やらない授業をやること
- 理想とする授業像が限定的
ということ。
それぞれを深掘りしています。
最初に断っておきますが、ボクには力が足りず、学校全体での取り組みをどう変えるかってところまでいきませんでした。
そもそも体育主任を長いこと続けていたので、研究主任をすることはありませんでした。
あお
研究主任を勤めている方を尊敬しています。
そんな元教員の一意見としてお聞きください。
講師で校長先生や大学教授を呼ぶのが前提の研究授業
これが一番疑問でした。
「子どものためにスケジュールを動かしてほしい」
って時に
「ここは講師の先生の事情があるから。」
と断られたり…。
「この講師を呼ぶことになっているから。」
という理由で、その年の研究テーマが決まった年がありました。
そ、そんなことが。。。
まーくん
中には一緒に考えてくれるタイプの講師の先生もいらっしゃいました。研究会にも柔らかく入ってくれるステキな校長先生でしたよ。
ただ、どうも「呼ぶことありき」の研究授業が前提なのは困りましたね。
PDCAのうち、PとDが大部分の研究授業
今の研究授業のシステムだと、どうしてもPLANとDOの割合が大部分を占め、学校全体でのCHECKやACTIONまで落とし込んでいるっていう学校は少ない気がします。
特にPLANの大きさにはびっくりします。
ボクは授業って結構インプロ的な部分があると思うんですよ。
計画をしたものの、やっぱり即興でその場の雰囲気で変えていく‥
もしくは計画段階だと思いつかないことでも、授業が動き始めると、子どもの発想や動きから見えてくることが多々あります。
あお
これが楽しみであり、先生の腕の見せ所だと思うんです。
だから、大枠をデザインして、まずはやってみること。そのあたりは、OODAモデルの方が適している気がするんですね。
PLANを少なくしてどう考えるか…。ここに向き合っている学校も少しずつ生まれている印象です。
普段やらない授業をする研究授業
正直、たくさんの授業を見てきて、「それを毎回できますか?」っていう思いがあります。もっといつもの授業を研究したい、日常に還っていくための授業で行いたいという思いがありました。
ボク、コメンテーターではないので、あれこれ人や授業に意見を言うのは嫌いで、どっちかって言うと一緒に考えていきたいと思って、事後授業で話していました。
あお
普段の授業しませんか?見ませんか?
が基本姿勢でした!
まぁ、そんな姿勢は研究大好きな方には、疎まれていたよね。。
まーくん
あお
はい、誠にすみません。
研究授業は理想的な授業像が限定的
気になったことの1つに、「こうあらねばならぬ」が強すぎるんだと思います。
自分が受けてきたことの再生産になりがちなこの職業、「授業とはこういうもの」という固定概念は、なかなか抜けないし、研究している人ほどこれは強い。
ボクは人前で授業することについては、賛成です。見てもらわないと成長はないと思っています。他者の視点ってすごく大切で、フィードバックを得ることは一番の学びです。
でも、
「こうあらないと」
が強いと絶対うまくいかない。
先生としていいなぁって思う授業は、スッと流れる授業。流れに淀みがない授業。
ボク自身はそう思うことが多かったんですが、「いいなぁ」って思う授業はみんな人によって違うんですよね。
あお
それでいいと思うんです!
ただ、みんなであくまで「一緒のものを目指す感の強さ」にちょっと困っていました。
授業には個人の先生の特性や感情が大きく関わってきており、児童との関係性もあるので、一概には言えないんですよね。
研究授業は今後、どうしていくのがいいのだろう?
こちらもいろいろな方がtweetしてくださっています。
すごい!これが学校レベルで実現できているのであれば、本当にすごいなぁと思います。
②は個人レベルでやるのはできるけれど、全員が納得いく形で実現できるってどういう風にやるのか、パパさんさすがです!
U-teacherさんの提案も素晴らしいと思います。ここをどう学校全体で巻き込んでいくかですよね。提案性という点で、やっぱり自分らしくやっていきたいなぁと思うんですよ。
友人であるトミーのもしっくりくる。
社会科ワークショップの著者です!
学校にやらされている時点で、やっぱりモチベーションが下がっちゃうのが自分のいけないところ。バディ制やプロジェクト制良いよなぁ。
あお
ボクとしては研究主任の先生に頭が下がる思いでいっぱいなんです。本当に大変なことをしてらっしゃってる。
自分個人としてはリーディングワークショップを始めとする、比較的周りには知られていない授業を通じて、年間を通して研究してきているんです。
自分の学校の先生たちでは無いけれど、他の仲間と振り返りを共有するなどして、前に向かって進んでいるところではあるんです。こっちの方がよっぽど研究になっていた…
ただ、やはり学校全体としても何かしらの形で変えていけないかって思っているんです。
個人としての研究授業に臨む姿勢は今のまましかないかなぁと思っているんですが、全体としてはどうだろう。
そもそも40年同じことをしていて、まだ大きな成果があがっていないんじゃないか。
というところはずっとモヤモヤしたままです。
これって個人に還していくことなの?
各学校で一人でも多くの先生が少しでも上手くなればいい…という発想で続いていくの?
こんな長期間かかり、成果のない「研究」って、他の分野では許されないと思うんです。
やっぱりこの制度をどうにかしていかなくてはいけないんじゃないかなぁという思いは変わらないです。個人の努力や研究主任の努力だけではなく、学校全体でのアプローチの変化が望まれているんじゃないのでしょうか。
可能性を追い求める学校も 先生だけの議論やめません?
世にはここに立ち向かって、答えを出そうとしている方々もいらっしゃいます。
いつかこういう研究が広がり、変わっていくこと願っています。
最後の年にはボクも挑戦したよ!
ちなみに、ヒミツキチ森学園でのことを話すと、毎日のように同じ授業を見合っているグループリーダーがいること、そこからのフィードバックが多様であること。
そして毎週多くの見学者が来て、見えている視点をいただくこと。それで「授業の質」も確実に向上しています。
あお
教員時代よりハイペースで授業が良くなっています。
授業がどうというより、カリキュラムだったり仕組みだったりが日々変化していく、そんな印象があります。
そしてそのしくみづくりは、子どもたちと一緒にもやっているので、子ども自体が育ち、授業が変化していっている感じです。
もう先生だけで研究しようというのは、古い考えなのではないでしょうか。
たくさんのリソースがあるはずの教室。子どもたちと切り離したところで議論するよりも、子どもたちと一緒に考えていく方がはるかに、授業が変わっていくのを感じています。
あお
授業研究以上の価値が子どもたちとつくることにあります。
そんなボクも、新しいステージに移って以来、ちょくちょく研究講師として呼ばれるようになりました。
研究授業とは効果が一味違うものを提供できればと思っています。
ヒミツキチ森学園の実践も加味しつつ、呼んでいただける学校あれば、ご検討ください。
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まーくん
あお
それでは今日も良い一日を!
今日の記事は音声でも発信中!
研究やシステムについてはこちらも!