おはようございます。
隣の家の子の縄跳びをみていて、前跳びができるようになり一緒にはしゃいだ「あお@aosenn」です。こうすればできそう、はなんとかつかみました。
さて、今日は「ボクが先生になった理由」を思い出してみようと思います。
教員を志す方の役に立てばいいのですが…。
- 小学校教員を目指そうと思っている方
- 先生で自分のなった理由と照らし合わせてみたい方
- 採用試験を受ける際の志望動機に悩んでいる方
あお
それでは早速いってみましょう!
目次
小学校教員になろうと思ったのは、浪人時代
先生になるのは、小さい頃からの夢だったの??
まーくん
あお
実は全く違うんだ。なりたいなと思ったのは、浪人時代のことなんだよ。
ボクは高校で部活を頑張りすぎて、高校卒業したのち、河○塾に合格しました(笑)
1日中勉強する環境は、「ここで一発奮起しないと」と考えていた自分にとっては、望ましいこと。やる気満々で来る日も来る日も勉強に明け暮れました。
ただ、勉強ばかりの日々は超退屈なんです。
すぐに友達を見つけ、休み時間は友達とのアホな話に花を咲かせていました。
当時ボクの進路は「工学部」。理系だったボクは、コンピュータに憧れて、プログラミング等、カタカタ打つ仕事に就きたいなぁと思っていました。
でも…休み時間の会話が楽しすぎたんです。
ふと思いました。
本当にこのまま進学していいのだろうか。。。
当時はたくさん悩んでいました。
何かに打ち込んでいくイメージの強い理系より、周りとのやりとりを楽しむ文系。単純にそんな風に考えていたんです。もちろん、今は理系でもやりとりがたくさんあるのはわかっています(笑)
あお
見えていることが小さく狭かったのがあの年齢の特徴ですね。
本当にやりたいのは、「人と人とが何かを生み出す仕事なんじゃないか。」そんな気持ちがムクムクと湧いてきたのです。
人とできる仕事…そこで思いついたのが先生なの?
まーくん
そういうことです。
本当に思いつき。
というか単純に、そういう仕事のモデルがボクの周りには先生しかいなかったってことかもしれません。
とはいえ、小学校、中学校、高校と尊敬できる先生に1人ずつくらいは会っていたのも事実です。学校という場所が嫌いじゃなかったってのもあるかなぁと。
父や母が先生だったわけではなく、全く別の仕事につく父と専業主婦の母でした。
実は最近、父が教員を目指していたことがあると聞いて嬉しくなりました。
思い切って文系への転換を決め、猛勉強。
なんとかギリギリの成績で、教育学部に入ることができました。
大学時代にバイトで感じた、教えることの楽しさ
ボクは大学時代に、塾のアルバイトを四年間続けました。
多いときは、週に4日、「団体」といって10人ぐらいを相手にする授業を持っていました。予習をする時間や、終わった後に他の先生と話す時間は、全く苦にならなかったのです。子どもたちともいい関係を築くことができて、本当に楽しかった。
18時には塾について、授業は21時まで。
でもその後、授業準備や同僚との会話、おしゃべりで、大体家に帰るのは24時前ぐらいでした。
子どもたちがわかってくれることが楽しく、やりとりが楽しく、人と関わることが楽しいと思わせてくれた大切な時間でした。
ボクにとってこの塾講師での体験は、本当に大きいです。
個別に教えたり、勉強が苦手な子に力を注げたり、そんな自由な体験を得たことで、その後の先生としての教育観も練られていきました。
つながるこの大切さを感じたのも、この体験が大きいんじゃないかなぁと思っています。
教育実習での子どもたちの涙
大学3年生の時、教育実習をしました。
区内では困難校と言われる学校です。4年生に入りましたが、結構穏やかな学年でした。子どもたちは、本当にやんちゃで可愛かった。
ボクの目標は、全員と関わること。
クラスの人気者の影に隠れスポットライトが当たらない子、でもしっかりやっている頑張り屋さん。そんな子達とどう関わればいいか。
最初、ボクのところに来てくれるのは、人懐っこい子だったり、元気な子だったり…それ以外の子は、ちょっと離れた位置からボクのことを伺っていることに気がつきました。
どうやったらその子たちに光を当てられるだろう。
一人ひとりの大好きなことに関わろうと思いました。
一人ひとりを知るためにメモを取り、放課後のミニバスの練習を見に行ったり、大事にしているものを紹介してもらえる授業をしました。
あお
じっくり考えた4週間でした。たくさんの迷惑をかけながら、まっすぐかけぬけました。
最終日、放送朝会で挨拶をした後、教室に戻ると、シクシクなく声が…
放送の挨拶で、涙を流してくれた子がいて、それが広がっていったんです。。。
あお
あぁ、ボクなんかのために涙を流してくれる子がいるのか。。。
素直にそう思い、感動した瞬間でした。
いろいろな人のおかげで、いい関係を築くことができた1ヶ月でした。
涙を流してくれた子の多くは、スポットライトが当たらない子たちでした。まんべんなくいい関係を築くことができたのも、その後のボクのあり方につながっています。
葛藤、そして小学校教員へ
なる前までは葛藤はたくさんありました。
ボクが先生になっていいのだろうか。
本当にこの道でいいのだろうか。
他にやりたいことはないのだろうか。
ただ、先生になってみたら本当に夢中になれる、そんなステキな仕事でした。
それでも、本当にやってよかった。
感動して多くの場面で涙を流しました。
大きな行事は、職員一丸となって取り組み、子どもたちの成長を皆で喜びました。
子どもたちとのやりとりには毎日エネルギーをもらいました。一人一人と関わる楽しさを教えてもらいました。
かけがえのない仕事だなぁと、今改めて思います。
かけぬけてきたこの仕事、15年続けることができました。
先生になると決めた当時の決断に何の後悔もありません。
新しい場への挑戦は続く
そして、嫌だからではなく、更なるワクワクや挑戦のために、退職して今はオルタナティブスクールで働いています。
今も、毎日の自分のあゆみには満足しつつ、前に進んでいます。
自分の選択に後悔のないように、全力で生きる毎日です。
思えば、いつも、今が一番であるように生きてきました。
過去を懐かしんだり、未来のために今を犠牲にしたり、そんなことがないように、今を一番にを心がけています。
これからも、「今」を大切に、続いていきます。
今日は小学校教員の志望動機や、想いを話させていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
あお
それでは今日も良い一日を!
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